哀情



さよなら、の代わりに頬にキスをされた。

アメリカじゃ当たり前のことだったし、相手が部活の先輩で男だったとしても、向こうでは男女関係なくキスくらいしていたからあまり気にしなかった。
この先輩は家が金持ちそうで、きっと外国にもたくさん行ってるのだろうと思ったから。



翌日も頬へのキスで別れた。

その次の日も。


一週間経ってそれが頬から唇に移った。

「ん………っやめ…!」

舌まで絡め取られるようなキスに俺は相手の胸を思いきり突き飛ばした。



「どうして?―――今までだって、嫌がってなかったくせに」


無感情な微笑みには何も伺えなかった。
























ぱあん

ツイストサーブで逆の方向に曲がった球が何回かバウンドしてカシャンと音を立ててフェンスに当たる。
通常の部活時間は既に終わっていて、コートにはリョーマ以外既に誰もいなかった。
校舎にも殆ど誰もいないのか、酷く静かだった。

なんとなく皆と―――違う、あの先輩と、だ―――一緒に帰ることが拒まれて、ここ一週間程一人残ってサーブ練習を繰り返していた。
その練習の成果なのか、前より右で打つツイストに切れが増した気がする。


部活が終了して既に一時間弱程経った頃、やっとボールをかき集め帰ることにした。
ボール籠を倉庫に押し込み、部室に着替えに入る。
静か過ぎる空間は淋しさが増し、リョーマは手早く着替えて鞄を持ち外に出た。


夕陽に伸ばされた影が―――2つ。



「―――…ッ二、先輩……」


二人きりになりたくないと思っていたのに。















「………ん……ぁっ…」

どさっと音を立てて肩からテニスバックが落ちる。
軽く肩に置かれた腕に軽く押され、カシャンとフェンスが嫌な音を立てた。


最後みたいな、すべてを持っていかれるような―――キス。


「止めろよ」
「どうして?」
「―――嫌だから」
「嫌だったら最初から突き飛ばせばよかったじゃない」
「………それは」
「嫌、じゃなかったんでしょ?」

もう一度顔を近付けられて反射的に位置を反らす。


「あんなの、挨拶じゃん…ッ」
「日本じゃ違うよ」
「アンタの意味は」
「…好きだよ?」
「嘘だ」
「…まあね」


微笑まれてぞく、とした。
怖いくらいの笑顔に、一瞬リョーマの反応が遅れる。
ガッシャンと後ろ向きに抑えつけられる。

首筋に熱い息が当たる。


「…ぃやだ……!」

す、とズボンに自分のものではない感触が入り込んだ。

「こっちは嫌がってないみたいだけど?」

握られてしっかり反応している自分が信じられない。
悔しくていつだって一人で反抗も出来ず慣らされていく自分に吐きたくなる。


後ろから咥えられたものに気が遠くなりそうな嬌声を上げた―――

















「………くしょ…ッ…」


涙は出ない。
“アイ”なんてない行為には慣れてるから。
こんなのなんてことない。

なのに…切ないと思うこのココロはなんなのだろう。


―――最初に、気付いてしまったから。

瞳の奥から向けられる想いに。


判ってた

感情を装うことなんて巧いひとだから


傷付いちゃいけない…



なのに、―――透明なこの雫はなんだろうか。




「好きじゃない。愛してない。―――大嫌いだよ」

言い聞かせるように、そう何度も呟いた。



認めたくない理由を思考のどこかで解っていた。




















スキだとかアイシテルとか考えたことなんて一度もない。
―――だって誰も僕をアイシテなんてくれなかったじゃないか。
まわりは何でも出来る自分をどんどん神聖視していくのに、自分の心はついていくことが出来なかった。

出来ることは変なの?
どうして?

―――僕はみんなと一緒なのに。


初めてリョーマに会った時に本当に嫌気がした。
テニスに対して天才的に巧い君に、怒りに似た憎悪が沸いた。
全米チャンピオン?あの、サムライを父に持つサラブレットだから?

だから、何。

そんな肩書きがあったら皆に受け入れられるのか。
みんなに可愛がられて―――当然のように。

ボクニハソンナノナカッタノニ

壊れちゃえ。壊してしまえ。


そんな存在認めないから。



「あは…ははははッ」


そう、壊れてしまうのはとても簡単で。
堕ちるのも他の事と同じことだ。






















それから

僕は『今まで』通りだったし、
皆からの視線の種類も変わらなかった。


『天才』

それは神聖視と呼ばれる部類のもの。


変わったのは、そう、僕が最も嫌悪する少年のもの。

視線の中には恐怖が混ざっていた。
それを“理解”して僕は楽しくて嬉しくて心の底から笑みを浮かべた。




「ねえ…越前」
「……ッ」
「僕が、怖い?」


クス、と微笑う。
ビク、と相手が反応するのが解ってますます面白くなる。



「ねえ…怖い?」


ホラ、僕にその君の恐怖を見せてよ。

そう、君は恐怖に溢れた顔で応えるんだ…。





「……怖いのは、先輩でしょ」

「先輩は、俺が怖いんだ」



君の顔には恐怖―――ではない自信が溢れていた。




何を言っている?
僕が、君を、怖がっている?




「俺は、怯えてなんかいないよ」



また、怒りに似た憎悪が全身を蝕んでいく。

何故。

何故、この少年はこんなにも僕を乱すのか。





うるさい

うるさい

うるさい…ッッ










耳鳴りが、する















「不二」
「……手塚」
「お前、大丈夫か」

手塚は表情を変えない。
もともと喜怒哀楽の少ないひとだとは思っていたけれど。
―――ああ、今は。
このひとの表情のなさが嬉しく思える。
自分の都合のいいように捉えることが出来るから。


「何が?」

手塚が何を言おうとしているかは判っていた。
それでも、僕は知らないふりをする。
そう、いつも通りだ、と。そう言うようにいつも通り微笑む。

「越前の不調と、何か関係あるのか?」
「………何のこと?」
「今日の越前は、ミスが目立っていた。―――お前も」
「…そうだったかな」
「関係ないならいいんだ」

手塚はやはり表情を少しも崩さなかった。

判ってるんだ?
―――偽善だね


「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどう?」
「それはもう言った。お前が知らないというのであればそうなんだろう」
「………あるよ」
「……」
「……関係あるよ。越前のこと」


手塚に言ってどうしようというのだろう。
言ったって何も変わらないし、それに―――手塚に僕の醜い部分を見られても
そうして僕はどうしようというのだろう。

「…お前らの間に何かあろうと関係はないが。だが、部活内への持ち込みは……」
「別に持ち込んでない。少なくとも僕はね」
「……」
「勝手に越前が傷付いてるだけでしょ」

もうこれ以上話していられないとばかりに僕はその場を逃れようと足を進めた。

「…俺にはお前の方が重症に見えるがな」
「何が言いたいの?」
「別に」

手塚はもうこれ以上は何も言わずに出ていってしまった。



『…俺にはお前の方が重症に見えるがな』


僕の方が、―――狂っている?























恐怖に怯える君の瞳が、

あんなに僕を悦ばせた視線が、


苛立ちを憶える



見計らったように越前が一人のところへ忍び寄って、その身体に火をつけた。
頬を撫でて、全身を撫で上げる。

「ねえ…越前。僕は君を怖がってなんかいない。君を壊してやりたい」


僕は…



知らず、涙が出て来た




僕にはなかった環境を作り出した君

その理由を、判っていた


惹かれる何か

例えばその強い視線だとか

例えばその小さな身体に大きな努力だとか


何でも出来過ぎて失っていた他人へ対する想いだとか
君はそういうのをちゃんと持っていたから

僕は、そういうのを全て隠してしまっていて

―――そうした方が生きるのに都合がよかったから



「ごめん…―――ごめんね」

吐き出すようにそう言った。


「いいよ…」


大丈夫だから、と。


何もかも拭いさるようにリョーマは笑った。
そうした方がいいと思ったから。


ねえ…先輩、今度真剣勝負、しませんか?

そう言って今度は不敵に笑った。



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